日本の治水の歴史!人々を守るために堤防をつくったのは武田信玄だった…!?
日本は国土の75%が山地と言われており、そのために川は標高の高い部分から低い部分への距離が短く、他の国に比べると流れが急であると言われています。
オランダ人のデ・レーケが日本の川を見て「これは川ではない。滝だ!」というセリフを残したことは有名ですが、そのために洪水や土砂災害などといった災害が発生しやすい特性を持っているとも言えます。
実際に日本では飲料や農業目的などで昔から川の恩恵を大きく受けてきましたが、一方で数多くの災害に巻き込まれてきました。
ダムの建設や堤防の建設によって洪水の数は減りましたが、人口増加に伴い水害が発生する可能性が高いエリアにも人が住むようになっています。
今回はどのようにして水害のしてください。
1.重要人物「武田信玄」
日本の治水の歴史においてよく名前が出てくる人物が武田信玄です。
武田信玄は釜無川・笛吹川に信玄堤という堤防を作りました。
「霞堤」という堤防をつくり、たとえ洪水が発生しても川の水を一時的に外に流すことで被害を抑制するように工夫しました。
明治時代になると治水においても西洋の進んだ文化が導入されるようになり、ダムや丈夫な堤防が作れるようになりました。
この技術が日本全国に広がり、日本の治水レベルは飛躍的に伸びたのです。
知らんかったで!
2.信玄堤とは
山梨県甲斐市竜王にある信玄堤公園には、信玄が作ってから400年以上の時が流れているにもかかわらず、信玄堤が今なお雄々しい姿をとどめています。
当時植えられたケヤキやエノキの大木が今でも残っているその景色は訪れる人々の心に特別な感動をもたらしてくれるのです。
信玄堤の工事は、天文11年(1542年)の釜無川、御勅使川の大氾濫が契機となって始められたとされています。
古文書に、永禄3年(1560年)棟別役という諸役や税を免除される代わりに川除への集団移住(竜王河原宿)を促し、堤防の管理に当たらせたと記録されているところから、工事が概ね完成したと推定されます。
約20年の歳月を要した大工事でした。
「堤防築造」と「御勅使川治水」により洪水被害は緩和され、盆地西部や竜王では江戸時代初期に用水路が開削され新田開発が進み、安定した農業生産ができるようになったとされています。
今度見に行ってみよ〜っと。
2.水害と地形の関係について
日本で初めて本格的な洪水調査が実施されたのが昭和22年にカスリーン台風によって多くの住民が犠牲になった時でした。
その洪水に調査によって水害と地形には大きな相関係数があることが判明しました。
これを契機に水害地形分類図が作られるようになり、地形分布を知ることで洪水になりやすい場所、洪水になりにくい場所を知ることができるようになってきました。
その後、昭和35年に伊勢湾台風によって大きな被害がもたらされると、国土地理院で災害対策に必要な基礎調査が行われるようになりました。
この地形分類では対象となる土地が、どんな形をしていて、いつ作られて、どんな物質でできていて、どんな作用で作られたのかに従って分類されています。この地形分類が進んだことによって、日本の治水に関する対策は大きく前進しました。
3.まとめ
日本はその地形の特性から水害が発生しやすい傾向にありますが、そのために昔から数多くの対策をしてきました。
今後も水害による被害を少しでも抑制するために、技術革新が期待されています。
水害には昔から悩まされてきたけれど、武将たちの知恵で被害が軽減でされていたんだね!
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